作業台の右端に、裁ちばさみが刃を開いたまま置いてある。三人とも、それを閉じない。
工房は駅から歩いて十五分、運河沿いの倉庫の二階にある。看板はない。一階の自転車修理店の主人に「上の人たちは?」と聞いたら、面倒くさそうに階段を指さした。
学校を出ないという選択
アントワープ王立芸術アカデミーのファッション科は、卒業生の名前でしか語られない。六人組が世に出てから四十年、この街の名前は輸出品になった。
だが、卒業したあとも街に残る人間のほうが、実際には多い。
「パリに行く理由がなかった」と、三人のうち一番若い一人が言っていた。「服を作る場所としては、ここのほうが安い。それだけ」
売る気がないわけではない。彼らの服は年に二回、街の三軒の店にだけ卸される。数は聞かなかった。二十着前後だと、店の一つが後日そう答えている。
名前が売れると、名前を守る仕事が増える。それは服を作る時間ではない。
これは三人の一人の言葉で、そのまま置いておく。
縫い代の幅
作りかけの一着を見せてもらった。裏を返すと、縫い代がやけに広い。二センチ近くある。既製服では一センチが普通で、量産では七ミリまで削る。
理由を聞くと、直せるようにしていると言う。
「買った人が太る。痩せる。子どもが着る。二十年もつ服にしたいなら、二センチ残しておくしかない」
この考え方は彼らの発明ではない。テーラリングの世界では当たり前で、ビスポークの上着はもっと残す。ただ、それをカジュアルなシャツやコートでやる作り手は少ない。手間のわりに、店頭では見えないからだ。
見えないところに金をかける
裏地を使っていない服が多かった。かわりに、縫い目の始末が細かい。袋縫いと折伏せ縫いを場所によって使い分けている。
裏地は服を安く速く仕上げるための技術でもある、と一人が言っていた。中を隠せば、中の仕事を省ける。
彼らはその逆をやっている。隠さないから、省けない。
工房を出るとき、階段の踊り場に段ボールが積んであった。中身は反物ではなく、返送されてきた服だった。修理の依頼だという。年に何着くらい戻ってくるのか、それは聞かなかった。
誰に売るかを決めていない
三軒の店の名前は聞いたが、書かないでほしいと言われた。理由は「店の迷惑になる」で、それ以上は説明しなかった。
一軒だけ、後日こちらから連絡を取った。取り扱いを始めたのは五年前で、きっかけは客からの問い合わせだったという。店側から声をかけたわけではない。
「作っている人に会いに行ったら、在庫を見せられて、これで全部だと言われた」と、その店の担当者が話していた。全部で十八着だったそうだ。
売り方の設計がないわけではなく、設計を先に決めないという設計になっている。
型紙は貸し出される
工房の壁に、茶色い紙の型紙が吊るしてある。数えたら二十枚以上あった。
このうち何枚かは、頼まれれば貸すという。相手は同業者で、断ったことはない。
なぜ貸すのかと聞いたら、逆に「なぜ貸さないのか」と返ってきた。型紙を独占しても、縫う人間が違えば別の服になる、という考え方らしい。これはこの三人に限った話ではなく、小規模の作り手のあいだでは珍しくない、と別の場所でも聞いたことがある。ただし私が確認したのはこの工房だけで、どの程度一般的なのかはわからない。
二十年後の話をしていた
帰り際、いま何を考えているかを聞いた。
三人のうち二人が、ほとんど同じことを答えた。二十年後に直しに来られる状態を保つこと。もう一人は、その質問には答えなかった。
工房の家賃は、この五年で二度上がっている。運河沿いの倉庫は、そのうち住居になるという話が出ているそうだ。